壁と重力と埃と、私の休日――。
序章:重力のない夢を、部屋にひとつ
テレビ台がなくなれば、空気が変わるのではないか──。
そんな幻想に似た予感から、この交響曲は始まった。
テレビ台といっても、それはレンガに板を載せただけの構造体だった。
簡素で、無骨で、埃を溜める以外の機能を持たなかった。
そしてある日、私はテレビを壁に寄せる決心をした。
寄せるというより、還すような気持ちだった。
第一楽章:埃と、儀式としての掃除
—
選んだのは「WALL V2」。
あえて2020年モデル。
ひとつ前の型は、少しだけ部品が少ない。
でも、それがかえって潔かった。

「このモデル、必要なものだけが残っている」そう思った。
我が家のテレビの下はちょうど50cm。
過剰な装飾は、必要なかった。
テレビを移動し、レンガの台を解体する。
埃が舞い、思い出が舞い、大量のウンコフィギュアが舞う。
過去の空気が、沈黙の中から現れた。
掃除機、水拭き、コードの整理。私は無心で動き、床を磨いた。

テレビの画面も磨いた。
光が反射して、「準備は整った」と言っているようだった。
第二楽章:WALL V2、予兆としての段ボール
WALL V2が届いたのは、11時58分。

佐川急便さんが持って来た箱は、まるで壁そのものの重みだった。
全く持ち上がらない。
佐川さんはどうやってこの箱を持ってきたのか。
彼は最適な重心とトルクの配分を、無意識に把握している。
あれが人間の物理限界点ギリギリで実行される美学なのだと、私は震える手で受領印を押した。
第三楽章:組み立て、ネジという名の旋律
—
WALL V2の部品は、ひとつひとつが静かに美しかった。

番号付きのパッケージ、揃ったネジ。

親切な説明書は、私のような組み立て下手に、一つずつリズムを与えてくれた。
ネジを締める。カチリ。締める。カチリ。
ひとつパーツを組み立てるたびに、私の中のエントロピーが減っていくようだった。

体脂肪率26%。
ほぼ脂肪で非力だが、工具の扱いには長けていた私は、一時間かからずここまで組み上げた。
謎に誇らしい気持ちが芽生えた。
第四楽章:父という名のフィナーレ
—
説明書には書いてあった。
「テレビの設置は必ず2人以上で」
この一文が、唯一の「他者」を呼び寄せた。
──父。仕事の昼休憩で帰ってきた彼は、スッとテレビを持ち上げた。
その一瞬。空中に浮かぶテレビ。
重さと、静寂と、集中が部屋を包んだ。
テレビが、壁に、寄った。
すべての音が止まった。
終章:寄せたのはテレビじゃない、心だった
—
たった数センチ、後ろへ下がっただけのテレビ。
それだけのはずなのに、部屋の空気が軽くなった。
視界が広がった。
呼吸が深くなった。
それはきっと、テレビが壁に寄ったのではなく、私の「余白のなさ」が、どこかに昇華されたから。
そう思って、完成後のテレビの横にしゃがみ込んで、何度も「うん、いい」と呟いてしまった。
そして翌日、全身筋肉痛になった。